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前職で介護の仕事をやっていた時に、福祉研修でスウェーデンに行ったことがきっかけでした。それまでは大好きな介護の仕事にのめり込んでいて、良くも悪くもそれしか見えていなかったのですが…、移民国家と言われているスウェーデンの介護施設で、様々なバックグラウンドを持っている介護員・おじいちゃんおばあちゃんを見て、自分がいかに小さな世界で生きていたのかを知りました。高校でも英語は一番苦手な科目だったので、研修中は全く英語を喋ることができず、高齢者とも肌に触れるなどの非言語的コミュニケーションしか取れなかったのですが、もし英語を喋れていたら、もっと良い経験になったのでは?と帰国後に強く感じたことをきっかけに、英語を勉強し色々な国の人と話したいと思い海外へ行くことを決めました。
寒い場所が苦手だったので暖かい国で、且つワーキングホリデービザで行ける国ということで決めました。日本人も多く友人も何人か渡豪していたので安心感もあり、国を決めるのにそこまで時間はかからなかったです。
その人が望むスタイルで生活ができるという点。ワーキングホリデービザはとても融通が利くビザで、『旅をしたい人』『働きたい人』『勉強したい人』どんな人にでもぴったりなビザだと思います。友人の中には、ワーキングホリデービザで1年間旅をするように過ごしていた人もいました。オーストラリアは仕事も見つけやすいので、旅と仕事を交互に繰り返すこともできます。
何と言っても壮大な自然です。シドニーやメルボルンなどの大きな都市はとても洗練されており、大都会のイメージが強いですが、1時間ほど車で行くと、どこまでも続く広大な自然や海に触れることができます。一度シドニーから海沿いを1000キロほど北にドライブしたことがあるのですが、その綺麗な景色にとても感動した記憶があります。野生のイルカの群れや、カンガルーやコアラなども見れちゃいますよ。
今でも記憶に残る大好きだった場所は、南オーストラリアにある小さな街『ビクターハーバー』から更に7キロほどいった『ポートエリオット』という街の海岸です。そこには1ヶ月ほど滞在していたのですが、『こんなところに日本人?』と思われるほど、アジア人はおろか外国人がほとんどいない、街とも言えないとても小さな場所でした。
私が滞在していたところは坂道を登ったてっぺんにあり、見渡す限り海が一望できる、まさに天国といっても過言ではないほどの素敵な場所で、よく海岸沿いの岩場の上で海を眺めていました。そこにいると海しか見えず、波の音しか聞こえないので、この大きな土地でたった一人で生きているような、不思議な感覚をいつも楽しんでいました。
話せるか話せないかではなく、話すか話さないかだと気付いたのは滞在3ヶ月後くらいでした。どれだけ間違えた英語を話していても、『英語を話す』ことができるようになったのはそれくらいからです。6ヶ月後にアデレードのローカルレストランで働き始め、日本人が一人もいない環境でインカムをつけながら働くという非常に厳しい環境に身を置いてからは、スタッフ間での英語のやり取りはあまり苦にはならなくなりました。
高校の時は本当に苦手な科目で、評価は5段階中2でした。社会人になってからも英語に関わることは全くなかったので、今思えばひどいレベルだったと思います。少しでも盛り返そうと、渡豪前に『1億人の英文法』という分厚い文法書を購入し、留学前に3往復読みました。今でもその文法書は私の基礎となっています。
私はその時々で、常に自分よりも英語レベルが高い人が周りにいたので、いつも劣等感を感じていました。学校に通っていた時は周りに全くついていけず、授業も何を言っているか分からず、授業についていけるようになったと思ったら、新しいレベルに上がりまた周りに圧倒される…。アデレードのレストランで働いていた時は、周りの同僚にいつも英語力を馬鹿にされていました。
ただそのような環境に身を置き続けられたので、留学前とは比にならないくらい1年間で成長したと思います。(元々のレベルが低かったですが…。)英語力をどれだけ上げられるかは自分次第です。留学しても甘えた環境に身を置かずに、厳しい選択をし続けられたら、成長の度合いは無限だと思います。
とにかく話すこと。留学先の土地はネイティブスピーカーが多いので、言うならば『英語のプロ』です。少しくらい間違ったって、英語のプロなのである程度ちゃんと伝わります。私たちだって日本語のプロであり、日本語の苦手な人が接続詞を抜いてしまっていても、言葉選びを誤っていたとしても、それをちゃんと理解してあげられることができます。同じように、周りの人は下手な英語でもちゃんと理解をしてくれるので、間違えを恐れずに喋ることが大切だと思っています。
色々な国の友人を作ることができました。これは留学に行かないと、なかなか日本国内では難しいことだと思います。
友人ができて一番嬉しかったことは、私がカンボジアにいた時、オーストラリアで知り合った友人3人がカンボジアに旅行に来た際に会いに来てくれたことです。それぞれフランス・ドイツ・ベルギーの友人で、みんな別々で旅をしていたのですが、違う国で再会できるのは本当に嬉しくて、「今度は私があなたのいる国に行くね。」と約束したのを覚えています。
また、他の国の文化を学ぶことで、日本にいる時の当たり前の概念が、当たり前ではないということを知ることもできます。
ポートエリオットに滞在していた時の仕事探しが一番印象的です。隣町のビクターハーバーにも、全くもってアジア人がいない場所で、毎日必死に仕事を探すべくレジュメ配りをしていました。ポートエリオットとビクターハーバーの7キロを毎日自転車で行き来し、全然手ごたえのない仕事探しがつらくなって、いつも自転車に乗りながら泣いていたのは今となってはいい思い出です。その経験があり、精神的にかなり強くなることができました。
結局、ポートエリオットでは仕事が見つからず、アデレードに移ってすぐに仕事が見つかり、最高の同僚に恵まれながら仕事ができたのも、然るべき運命だったのかなあと今になって思います。アデレードのレストランで働いていた時の一番の仲良しの香港人は、今でも連絡を取り合っています。